一日には千たび参りし東の
大き御門を入りかてぬかも
- 歌の意味
-
一日に千度も参上した東の大きな御門を、今は入ることができないことだ。
- 鑑賞
-
巻第二 挽歌 186
詞書は前の歌に続き「皇子尊の宮の舎人ら、慟傷して作る歌二十三首」
かつては一日に千度も出入りした東の大きな御門を、主のいない今は入ることができないと嘆いた一首である。
詞書によれば、草壁皇子の宮に仕えた舎人たちが、皇子の死を嘆き悲しんで作った歌二十三首である。左注は日本書紀を引き、皇子が持統天皇三年(689)四月に亡くなったと記す。一連は、主を失った島の宮の庭や池、殯宮の置かれた真弓の岡や佐田の岡で宿直する舎人たちの嘆きを、さまざまな場面から詠み継いでいる。本歌は一連の十六首目である。
作者は草壁皇子の宮に仕えた舎人たちで、一人一人の名は伝わらない。舎人は皇族や天皇の身近に仕えて警護や雑務にあたった役人である。柿本人麻呂が舎人の立場に立って作ったとする説もあるが、定まっていない。
初句「一日には」は、一日のうちにはの意である。
二句「千たび参りし」は、千度も参上したの意で、誇張によって親しく仕えた日々を示す。
三句「東の」は、一連の十四首目の第百八十四首と同じく、島の宮の東の門を示す。
四句「大き御門を」は、大きな御門をの意である。本巻の第百六十八首の柿本人麻呂の歌の「皇子の御門」に対応している。
結句「入りかてぬかも」の「かてぬ」は〜できないの意、「かも」は詠嘆で、入ることができないと結ぶ。初句と二句の「千たび」との対比で、悲しみの深さが際立つ。
まゐる:参上する
みかど:宮殿の門。また宮殿そのもの
- 出典
-
万葉集
- 前の歌
-
水伝ふ礒の浦廻の岩つつじ 茂く咲く道をまたも見むかも
- 次の歌
-
つれもなき佐田の岡辺に帰り居ば 島の御階に誰れか住まはむ