畑子らが夜昼といはず行く道を
我れはことごと宮道にぞする
- 歌の意味
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農夫たちが昼となく夜となく行き来する道を、私はすべて宮へ通う道にしている。
- 鑑賞
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巻第二 挽歌 193
詞書は前の歌に続き「皇子尊の宮の舎人ら、慟傷して作る歌二十三首」
畑で働く人々が昼夜の別なく通う田舎の道を、今は自分がすべて殯宮へ通う道としていると、仕えの場が変わった現実を詠み、舎人らの二十三首を結ぶ一首である。
詞書によれば、草壁皇子の宮に仕えた舎人たちが、皇子の死を嘆き悲しんで作った歌二十三首である。左注は日本書紀を引き、皇子が持統天皇三年(689)四月に亡くなったと記す。一連は、主を失った島の宮の庭や池、殯宮の置かれた真弓の岡や佐田の岡で宿直する舎人たちの嘆きを、さまざまな場面から詠み継いでいる。本歌は一連の二十三首目である。
作者は草壁皇子の宮に仕えた舎人たちで、一人一人の名は伝わらない。舎人は皇族や天皇の身近に仕えて警護や雑務にあたった役人である。柿本人麻呂が舎人の立場に立って作ったとする説もあるが、定まっていない。
本歌で、第百七十一首から続いた舎人らの二十三首が結ばれる。
初句「畑子らが」の「畑子」は畑で働く人々の意で、「ら」は複数を表す。
二句「夜昼といはず」は、夜昼の区別なくの意である。
三句「行く道を」は、行き来する道をの意である。
四句「我れはことごと」の「ことごと」はすべての意である。
結句「宮道にぞする」の「ぞ」は係助詞で、連体形「する」で結ぶ係り結びである。宮へ通う道としているの意で、農夫の道と宮道という対比で一連を閉じる。
はたこ:畑で働く人、農民
みやぢ:宮へ通う道
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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朝日照る佐田の岡辺に泣く鳥の 夜哭きかへらふこの年ころを
- 次の歌
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敷栲の袖交へし君玉垂の 越智野過ぎ行くまたも逢はめやも