大君は神にしませば天雲の
五百重が下に隠りたまひぬ
- 歌の意味
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大君は神でいらっしゃるので、天の雲が幾重にも重なる、その下に隠れておしまいになった。
- 鑑賞
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巻第二 挽歌 205
詞書は前の歌に続き「弓削皇子の薨ぜし時に、置始東人の作る歌、反歌一首」
弓削皇子の死を、神である皇子が幾重にも重なる天の雲の下に隠れたと表し、悲しみを神への畏れの中に包んで詠んだ一首である。
弓削皇子が亡くなったときに置始東人が作った挽歌で、第二百四首の長歌に反歌一首と短歌一首が添えられている。弓削皇子は天武天皇の皇子で、文武天皇三年(699)に亡くなった。本歌はその反歌である。
作者の置始東人は、伝未詳の人物で、弓削皇子に仕えた人とみられる。
初句「大君は」は、ここでは弓削皇子を指す。
二句「神にしませば」の「し」は強意、「ませ」は「あり」の尊敬語「ます」の已然形、「ば」は確定条件で、神でいらっしゃるのでの意である。皇族を神として称える定型の句で、巻第三の第二百三十五首の柿本人麻呂の歌などにも見える。
三句「天雲の」は、天の雲のの意である。
四句「五百重が下に」は、幾重にも重なるその下にの意である。
結句「隠りたまひぬ」の「隠る」は亡くなることをいい、「たまふ」は尊敬、「ぬ」は完了で、隠れておしまいになったと結ぶ。
いほへ:幾重にも重なること
かくる:隠れる。ここでは亡くなることをいう
- 作者
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置始東人
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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降る雪はあはにな降りそ吉隠の 猪養の岡の塞なさまくに
- 次の歌
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楽浪の志賀さざれ波しくしくに 常にと君が思ほせりける