黄葉の散りゆくなへに玉梓の
使を見れば逢ひし日思ほゆ
- 歌の意味
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紅葉が散ってゆくちょうどその時に、便りを運ぶ使いの者を見ると、妻と逢った日のことが思い出される。
- 鑑賞
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巻第二 挽歌 209
詞書は前の歌に続き「柿本朝臣人麻呂、妻の死にし後に泣血哀慟して作る歌、短歌二首」
紅葉が散る季節に便りを運ぶ使いの姿を見ると、かつて妻と逢った日のことが思い出されると詠んだ一首である。長歌で妻の死を告げに来た使いの姿が重なり、散る紅葉が妻の死を思わせる。
人麻呂が妻を亡くしたのち、血の涙を流すほどに嘆き悲しんで作った挽歌で、泣血哀慟歌と呼ばれる。長歌二首のそれぞれに短歌二首が添えられ、さらに或本に伝わる長歌と短歌三首も載せられている。一首目の長歌の第二百七首は人目を忍ぶ仲であった軽の里の妻を、二首目の長歌の第二百十首は幼子を残して亡くなった妻を悼む。本歌は第二百七首に添えられた短歌二首の二首目である。
作者の柿本人麻呂は、持統天皇、文武天皇の時代に活躍した宮廷歌人で、長歌や挽歌にすぐれ、万葉集を代表する歌人である。後の時代には歌聖と称えられた。
初句「黄葉の」は、紅葉した葉のの意である。
二句「散りゆくなへに」の「なへに」は、〜とともに、ちょうどその時にの意で、紅葉が散るのと時を同じくしての意である。
三句「玉梓の」は「使」にかかる枕詞である。
四句「使を見れば」は、便りを運ぶ使いの者を見るとの意で、長歌の第二百七首で妻の死を告げた使いを思わせる。
結句「逢ひし日思ほゆ」の「思ほゆ」は自然と思われる意で、妻と逢った日が思い出されると結ぶ。
たまづさ:使者。「使」にかかる枕詞
つかひ:使者、便りを運ぶ人
- 作者
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柿本人麻呂
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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秋山の黄葉を茂み惑ひぬる 妹を求めむ山道知らずも
- 次の歌
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去年見てし秋の月夜は照らせれど 相見し妹はいや年離る