衾道を引手の山に妹を置きて
山道思ふに生けるともなし
- 歌の意味
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引手の山に妻を葬り置いて、その山道を思うと、生きている心地もしない。
- 鑑賞
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巻第二 挽歌 215
詞書は前の歌に続き「柿本朝臣人麻呂、妻の死にし後に泣血哀慟して作る歌、或本の歌の短歌三首」
引手の山に妻を葬り、その山道を思うと生きている心地もしないと、残された者の深い虚脱を詠んだ一首である。
人麻呂が妻を亡くしたのち、血の涙を流すほどに嘆き悲しんで作った挽歌で、泣血哀慟歌と呼ばれる。長歌二首のそれぞれに短歌二首が添えられ、さらに或本に伝わる長歌と短歌三首も載せられている。一首目の長歌の第二百七首は人目を忍ぶ仲であった軽の里の妻を、二首目の長歌の第二百十首は幼子を残して亡くなった妻を悼む。本歌は或本の長歌の第二百十三首に添えられた短歌三首の二首目で、第二百十二首とは四句が「山道を行けば」から「山道思ふに」となり、結句が「生けるともなし」となっている。
作者の柿本人麻呂は、持統天皇、文武天皇の時代に活躍した宮廷歌人で、長歌や挽歌にすぐれ、万葉集を代表する歌人である。後の時代には歌聖と称えられた。
初句「衾道を」は、「引手」にかかる枕詞とも地名ともいわれ、第二百十二首と同じ初句である。
二句「引手の山に」は、妻を葬った大和の山にの意である。
三句「妹を置きて」は、妻を葬り置いての意で、六音の字余りである。
四句「山道思ふに」は、山道を思うとの意である。第二百十二首の「山道を行けば」が実際の道行きであるのに対し、心の中で山道を思いやる形になっている。
結句「生けるともなし」は、生きている心地もしないの意で、本巻の第二百二十七首の歌の結句と同じである。
ふすまぢ:「引手」にかかる枕詞とも、地名ともいわれる
ひきでのやま:大和の山。妻を葬った所
- 作者
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柿本人麻呂
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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去年見てし秋の月夜は渡れども 相見し妹はいや年離る
- 次の歌
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家に来て我が屋を見れば玉床の 外に向きけり妹が木枕