楽浪の志賀津の子らが罷り道の
川瀬の道を見れば寂しも
- 歌の意味
-
楽浪の志賀津の娘子が、この世を去って行ったその道の、川瀬の道を見ると寂しいことだ。
- 鑑賞
-
巻第二 挽歌 218
詞書は前の歌に続き「吉備津采女の死にし時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌、短歌二首」
志賀津の采女がこの世を去って行った川瀬の道を見ると寂しいと、采女の死を悼んだ一首である。
吉備津采女が亡くなったときに柿本人麻呂が作った挽歌で、長歌の第二百十七首に短歌二首が添えられている。吉備津采女は吉備の国から出仕した采女で、長歌には夫のあったことが詠まれている。志賀の津の水辺で亡くなったとみられ、入水したとする見方もある。本歌はその短歌二首の一首目である。
作者の柿本人麻呂は、持統天皇、文武天皇の時代に活躍した宮廷歌人で、長歌や挽歌にすぐれ、万葉集を代表する歌人である。後の時代には歌聖と称えられた。
本文には異伝の注記があり、二句を「志賀の津の子が」とする本がある。ここでは本行に従う。
初句「楽浪の」は、琵琶湖の西南岸一帯の地名である。本巻の第百五十四首の石川夫人の歌、第二百六首の置始東人の歌も同じ初句で始まる。
二句「志賀津の子らが」の「志賀津」は志賀の港、「子ら」は娘子を親しんで呼ぶ語で、吉備津采女を指す。本巻の第百五十二首の「志賀の唐崎」とともに、志賀の水辺が挽歌の舞台となっている。
三句「罷り道の」は、この世を去って行く道のの意である。
四句「川瀬の道を」は、川瀬に沿った道をの意で、葬送の道とも、采女が身を投げた所へ向かう道とも解される。
結句「見れば寂しも」の「も」は詠嘆で、見ると寂しいことだと結ぶ。
まかりぢ:この世を去って行く道、死出の道
こら:娘子を親しんで呼ぶ語
- 作者
-
柿本人麻呂
- 出典
-
万葉集
- 前の歌
-
家に来て我が屋を見れば玉床の 外に向きけり妹が木枕
- 次の歌
-
そら数ふ大津の子が逢ひし日に おほに見しかば今ぞ悔しき