妻もあらば摘みて食げまし沙弥の山
野の上のうはぎ過ぎにけらずや
- 歌の意味
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妻がそばにいたなら、摘んで食べさせただろうに。沙弥の山の野辺のよめなは、もう盛りを過ぎてしまっているではないか。
- 鑑賞
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巻第二 挽歌 221
詞書は前の歌に続き「讃岐の狭岑島にして石中の死人を視て、柿本朝臣人麻呂の作る歌、短歌二首」
妻がそばにいたなら、野のよめなを摘んで食べさせただろうに、そのよめなも盛りを過ぎてしまったではないかと、身寄りもなく亡くなった旅人を哀れんだ一首である。
讃岐の狭岑島で、岩の間に横たわる行き倒れの死者を見て、柿本人麻呂が作った挽歌で、長歌の第二百二十首に短歌二首が添えられている。狭岑島は今の香川県坂出市の沙弥島とされる。長歌では、船旅の途中で風を避けて島に寄り、荒磯を枕に横たわる死者を見て、その家族を思いやっている。本歌はその短歌二首の一首目である。
作者の柿本人麻呂は、持統天皇、文武天皇の時代に活躍した宮廷歌人で、長歌や挽歌にすぐれ、万葉集を代表する歌人である。後の時代には歌聖と称えられた。
初句「妻もあらば」の「ば」は仮定で、妻がそばにいたならばの意である。
二句「摘みて食げまし」の「食ぐ」は食べる意、「まし」は反実仮想で、摘んで食べさせただろうにの意。二句切れである。
三句「沙弥の山」は、狭岑島の山を指す。
四句「野の上のうはぎ」の「うはぎ」は、若菜として食べたよめなのことである。
結句「過ぎにけらずや」は、盛りを過ぎてしまったではないかの意で、死者が世話をされることもなく時が過ぎたことを嘆く。
たぐ:食べる、飲む
うはぎ:ヨメナの古名。若菜として食べた
- 作者
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柿本人麻呂
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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そら数ふ大津の子が逢ひし日に おほに見しかば今ぞ悔しき
- 次の歌
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沖つ波来寄る荒礒を敷栲の 枕とまきて寝せる君かも