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高円の野辺の秋萩いたづらに
咲きか散るらむ見る人なしに

歌の意味
高円の野辺の秋萩は、むなしく咲いては散っているのだろうか。見る人もいないままに。
鑑賞
巻第二 挽歌 231

詞書は前の歌に続き「霊亀元年歳次乙卯の秋九月、志貴親王の薨ぜし時に作る歌、短歌二首」
 志貴皇子が愛でた高円の野辺の秋萩は、見る人もいないまま、むなしく咲いては散っているのだろうかと、主を失った野の花を思いやった一首である。
 霊亀元年(715)九月に志貴皇子が亡くなったときの挽歌で、長歌の第二百三十首は、高円山に燃える葬送の松明の火を野火かと問う形で皇子の死を悼んでいる。志貴皇子は天智天皇の皇子で、のちの光仁天皇の父である。本歌はその長歌に添えられた短歌二首の一首目である。左注に、これらの歌は笠金村の歌集に出るとあり、作者は笠金村とされる。
 作者の笠金村は、元正天皇、聖武天皇の時代の宮廷歌人で、行幸に従って多くの歌を詠んだ。

 初句「高円の」の高円は、奈良の都の東の地で、志貴皇子の宮があった所とされる。
 二句「野辺の秋萩」は、高円の野辺に咲く秋萩の意である。本巻の第百二十首の弓削皇子の歌では、咲いてはすぐ散る秋萩がはかない命のたとえとして詠まれていた。
 三句「いたづらに」は、むなしく、甲斐もなくの意である。
 四句「咲きか散るらむ」の「か」は疑問の係助詞で、現在推量「らむ」の連体形で結ぶ係り結びである。咲いては散っているのだろうかの意。
 結句「見る人なしに」は、見る人もいないままにの意で、倒置によって主のいない寂しさを最後に示す。

たかまと:奈良の都の東の地名。志貴皇子の宮があった
作者
笠金村
出典
万葉集
前の歌
難波潟潮干なありそね沈みにし 妹が姿を見まく苦しも
次の歌
御笠山野辺行く道はこきだくも 繁く荒れたるか久にあらなくに