御笠山野辺行く道はこきだくも
繁く荒れたるか久にあらなくに
- 歌の意味
-
御笠山の野辺を行く道は、こんなにもひどく草が茂って荒れてしまったのか。皇子が亡くなってまだ久しくもないのに。
- 鑑賞
-
巻第二 挽歌 232
詞書は前の歌に続き「霊亀元年歳次乙卯の秋九月、志貴親王の薨ぜし時に作る歌、短歌二首」
御笠山の野辺の道が、皇子が亡くなってまだ日も浅いのに、こんなにも草が茂って荒れてしまったのかと、主を失った道の変わりように驚き嘆いた一首である。
霊亀元年(715)九月に志貴皇子が亡くなったときの挽歌で、長歌の第二百三十首は、高円山に燃える葬送の松明の火を野火かと問う形で皇子の死を悼んでいる。志貴皇子は天智天皇の皇子で、のちの光仁天皇の父である。本歌はその長歌に添えられた短歌二首の二首目で、作者は左注により笠金村とされる。
作者の笠金村は、元正天皇、聖武天皇の時代の宮廷歌人で、行幸に従って多くの歌を詠んだ。
初句「御笠山」は、奈良の春日にある山で、高円山の北に連なる。
二句「野辺行く道は」は、野辺を通って行く道はの意で、皇子の宮へ通った道を思わせる。
三句「こきだくも」は、こんなにもひどくの意である。
四句「繁く荒れたるか」は、草が茂って荒れてしまったのかの意で、八音の字余りである。四句切れとなる。
結句「久にあらなくに」の「なくに」は〜ないのにの意で、まだ久しくもないのにと、時の短さと荒廃の速さを対比させて結ぶ。
みかさやま:奈良の春日にある山
- 作者
-
笠金村
- 出典
-
万葉集
- 前の歌
-
高円の野辺の秋萩いたづらに 咲きか散るらむ見る人なしに
- 次の歌
-
高円の野辺の秋萩な散りそね 君が形見に見つつ偲はむ