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高円の野辺の秋萩な散りそね
君が形見に見つつ偲はむ

歌の意味
高円の野辺の秋萩よ、散らないでおくれ。亡き皇子の形見として見ながらおしのびしよう。
鑑賞
巻第二 挽歌 233

詞書は前の歌に続き「霊亀元年歳次乙卯の秋九月、志貴親王の薨ぜし時に作る歌、或本の歌に曰く」
 高円の野辺の秋萩に散らないでくれと呼びかけ、亡き志貴皇子の形見として見ながらしのぼうと詠んだ一首である。
 霊亀元年(715)九月に志貴皇子が亡くなったときの挽歌で、長歌の第二百三十首は、高円山に燃える葬送の松明の火を野火かと問う形で皇子の死を悼んでいる。志貴皇子は天智天皇の皇子で、のちの光仁天皇の父である。本歌は或本に伝わる歌として添えられたもので、第二百三十一首の別の形とみられる。第二百三十一首が見る人のいない萩を思いやるのに対し、本歌では自らが形見として萩を見ようとしており、見る人のない花と見る人のいる花という反転した構図になっている。
 作者は明示されていない。第二百三十一首と同じく笠金村の作とみる説もあるが、定まっていない。

 初句「高円の」は、第二百三十一首と同じ初句である。
 二句「野辺の秋萩」も、第二百三十一首の二句と同じである。
 三句「な散りそね」の「な〜そね」は禁止に願望を添えた形で、散らないでおくれの意。三句切れである。
 四句「君が形見に」は、亡き皇子の形見としての意である。
 結句「見つつ偲はむ」の「む」は意志で、見ながらおしのびしようと結ぶ。本巻の第二百二十五首の依羅娘子の歌の結句と同じである。

かたみ:亡き人をしのぶよすがとなるもの
出典
万葉集
前の歌
御笠山野辺行く道はこきだくも 繁く荒れたるか久にあらなくに
次の歌
御笠山野辺ゆ行く道こきだくも 荒れにけるかも久にあらなくに