大君は神にしませば真木の立つ
荒山中に海を成すかも
- 歌の意味
-
大君は神でいらっしゃるので、真木の茂り立つ荒々しい山の中に海をお作りになることだ。
- 鑑賞
-
巻第三 雑歌 241
詞書は前の歌に続き「長皇子、猟路の池に遊猟する時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首并せて短歌」の「或本の反歌一首」
或本に伝わる、同じ長歌の反歌である。猟路の池を、神である皇子が人気のない山中に作り出した海と見てたたえている。本巻の第二百三十五首と同じ「大君は神にしませば」の型を用い、山の中に海を生み出す神の業として池を讃美している。
作者の柿本人麻呂は、持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、長歌と短歌の両方にすぐれ、後世「歌聖」と仰がれた。
初句「大君は」 ここでは長皇子を指す。本巻の第二百三十五首と同じ初句である。
二句「神にしませば」 神でいらっしゃるので、の意で、「し」は強意、「ませ」は尊敬語「ます」の已然形である。第二百三十五首の二句と同じく、神の力を讃美の根拠として掲げている。
三句「真木の立つ」 真木は杉や檜などのすぐれた木で、それが茂り立つさまを表し、次の「荒山」の深さを示している。
四句「荒山中に」 人の住まない荒々しい山の中に、の意である。山と海の対比がここで準備される。
結句「海を成すかも」 池を海と誇張し、それを神の業として驚嘆している。「かも」は詠嘆である。山の中の海という対比が皇子の神威をきわだたせている。
まき:杉や檜などの良材となる木
あらやま:人の住まない荒々しい山
- 作者
-
柿本人麻呂
- 出典
-
万葉集
- 前の歌
-
ひさかたの天行く月を網に刺し 我が大君は蓋にせり
- 次の歌
-
滝の上の三船の山に居る雲の 常にあらむと我が思はなくに