滝の上の三船の山に居る雲の
常にあらむと我が思はなくに
- 歌の意味
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激流のほとりの三船の山にじっとかかっている雲のように、いつまでも生きていようとは私は思わないのに。
- 鑑賞
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巻第三 雑歌 242
詞書「弓削皇子、吉野に遊しし時の御歌一首」
吉野の三船山にかかる雲を見て、自らの命のはかなさを思った歌である。山の雲はいつもそこにあるように見えるのに、自分がいつまでも生きながらえるとは思えないと、華やかな遊覧の場で不安をにじませている。次歌で春日王が皇子の長寿を祈って応じ、第二百四十四首には柿本人麻呂歌集に出る異伝が載る。
作者の弓削皇子は天武天皇の皇子で、母は天智天皇の皇女の大江皇女である。文武天皇三年(699)に若くして没した。
初句「滝の上の」 滝は吉野川の激流で、宮滝のあたりを指す。「上」はほとりの意である。
二句「三船の山に」 三船山は吉野の宮滝の対岸にそびえる山である。次歌の四句も同じ語句を用いて唱和している。
三句「居る雲の」 「居る」はじっととどまる意である。ここまでが、山にいつもかかる雲の姿を比喩として「常に」を導いている。
四句「常にあらむと」 いつまでも変わらずに生きていようと、の意で、「む」は意志を表す。
結句「我が思はなくに」 「なくに」は打消の「ず」のク語法「なく」に助詞「に」がついた形で、「思わないのに」と詠嘆を込めた逆接で結んでいる。第二百四十四首も同じ結句である。
たき:激しく流れる急流、早瀬
ゐる:雲などがじっととどまる
- 作者
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弓削皇子
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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大君は神にしませば真木の立つ 荒山中に海を成すかも
- 次の歌
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大君は千年に座さむ白雲も 三船の山に絶ゆる日あらめや