燈火の明石大門に入らむ日や
漕ぎ別れなむ家のあたり見ず
- 歌の意味
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明石の海峡に入っていく日には、いよいよ漕ぎ別れてしまうのだろうか、家のあたりも見ないままで。
- 鑑賞
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巻第三 雑歌 254
詞書は前の歌に続き「柿本朝臣人麻呂の羈旅の歌八首」
羈旅の歌八首の六首目である。西へ下る船が明石海峡に入れば、大和の山々はもう見えなくなる。畿内と外の世界の境である明石で、家郷と別れていく寂しさを歌っている。次歌は帰路に明石の門から大和の山々を望む歌で、行きと帰りの対をなしている。
羈旅の歌八首は、難波から瀬戸内海を西へ下り、また大和へ帰る船旅を、地名を連ねてたどる連作である。一首目の第二百四十九首は下の句が難訓である。
作者の柿本人麻呂は、持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、長歌と短歌の両方にすぐれ、後世「歌聖」と仰がれた。官位は低く、その生涯には不明な点が多い。
初句「燈火の」 灯火が明るいことから「明石」にかかる枕詞である。
二句「明石大門に」 大門は大きな海峡のことで、明石海峡を指す。次歌の四句「明石の門より」と同じ場所である。
三句「入らむ日や」 「む」は推量、「や」は疑問の係助詞で、結びは四句の「なむ」である。
四句「漕ぎ別れなむ」 「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形、「む」は推量で、漕ぎ別れてしまうのだろうか、の意である。三句の「や」を受ける係り結びとなっている。
結句「家のあたり見ず」 八音の字余りである。家のあたりも見ないまま、と別れの寂しさで結ぶ。次歌の結句「大和島見ゆ」と「見ず」「見ゆ」の対照をなしている。
おほと:大きな海峡
こぎわかる:船を漕いで別れ去る
- 作者
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柿本人麻呂
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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稲日野も行き過ぎかてに思へれば 心恋しき加古の島見ゆ
- 次の歌
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天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば 明石の門より大和島見ゆ