妹も我れも一つなれかも三河なる
二見の道ゆ別れかねつる
- 歌の意味
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妻も私も一つの身だからだろうか、三河の二見の道で、別れることができないでいる。
- 鑑賞
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巻第三 雑歌 276
詞書は前の歌に続き「高市連黒人の羈旅の歌八首」
黒人の羈旅の歌八首の七首目である。三河の二見の道は道が二つに分かれる所で、そこで妻と別れなければならないのに、二人は一つだから別れられないと詠んでいる。「一つ」「三河」「二見」と数を詠み込んだ言葉遊びの趣もある。左注の一本では「三河の二見の道ゆ別れなば我が背も我れもひとりかも行かむ」と、妻の立場からの形で伝える。
黒人の羈旅の歌八首は、摂津、尾張、近江、三河、山城など、各地の旅で詠まれた歌を集めた一連である。
作者の高市黒人は持統朝から文武朝にかけての歌人で、旅の歌にすぐれ、遠ざかるものを見つめる孤独なまなざしの叙景に独自の境地を開いた。伝は未詳である。
初句「妹も我れも」 妻も私も、の意である。
二句「一つなれかも」 「なれ」は断定の助動詞「なり」の已然形で、「かも」を伴って、一つだからだろうか、と疑問の条件を表す。結句の「つる」と係り結びとなる。
三句「三河なる」 三河にある、の意である。二句の「一つ」、四句の「二見」とともに数を詠み込んでいる。
四句「二見の道ゆ」 二見の道は、道が二方向に分かれる所とされる。「ゆ」は、で、の意である。
結句「別れかねつる」 「かぬ」はできない意、「つる」は完了の助動詞「つ」の連体形で、別れられずにいる、と二句を受けて結んでいる。
ふたみのみち:三河国の二見の道。道が二方向に分かれる所
わかる:別れる、離れる
- 作者
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高市黒人
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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いづくにか我は宿らむ高島の 勝野の原にこの日暮れなば
- 次の歌
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早来ても見てましものを山背の 高の槻群散りにけるかも