常磐なす石室は今もありけれど
住みける人ぞ常なかりける
- 歌の意味
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永遠に変わらない岩のような石室は今もあるけれど、そこに住んでいた人ははかなく、いなくなってしまったことだ。
- 鑑賞
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巻第三 雑歌 308
詞書は前の歌に続き「博通法師、紀伊国に往きて三穂の石室を見て作る歌三首」
博通法師の三首の二首目である。変わることのない岩屋は今も残っているが、そこに住んでいた人は世を去ってしまったと、永遠の自然と無常な人の命とを対比している。僧である作者らしい無常観が、簡潔な対比の中に表れている。
博通法師の三首は、紀伊国の三穂の石室を訪れて、そこに住んだと伝える久米の若子をしのんだ一連である。
作者の博通法師は奈良時代の僧であるが、伝は未詳である。
初句「常磐なす」 常磐は永久に変わらない岩の意で、「なす」は、のように、の意である。
二句「石室は今も」 石室は今もなお、の意である。
三句「ありけれど」 あるけれども、の意で、上の句で石室の永続を述べている。
四句「住みける人ぞ」 「ぞ」は強意の係助詞で、結句の連体形「ける」と係り結びとなる。
結句「常なかりける」 常でなかった、はかなかった、の意である。初句の「常磐」と結句の「常なかり」とが対をなし、永遠と無常の対比を際立たせている。
ときは:永久に変わらない岩
- 作者
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博通
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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はだ薄久米の若子がいましける 三穂の石室は見れど飽かぬかも
- 次の歌
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石室戸に立てる松の木汝を見れば 昔の人を相見るごとし