昔見し象の小川を今見れば
いよよさやけくなりにけるかも
- 歌の意味
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昔見た象の小川を今見ると、いよいよすがすがしく清らかになったことだ。
- 鑑賞
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巻第三 雑歌 316
詞書は前の歌に続き「暮春の月に、芳野の離宮に幸せる時に、中納言大伴卿の勅を奉りて作る歌一首并せて短歌」と注「未だ奏上を経ぬ歌」の「反歌」
吉野の離宮への行幸に従った時、天皇の命を受けて作った長歌の反歌である。かつて見た象の小川を今改めて見ると、いっそう清らかになっていると、吉野の地をたたえている。題詞の注には、天皇に奏上されなかった歌とある。行幸は神亀元年(724)の聖武天皇の吉野行幸とされる。象の小川は象山から流れ出て、宮滝のあたりで吉野川に注ぐ小川である。
作者の大伴旅人は大伴安麻呂の子で、中納言、大宰帥を経て大納言に至り、天平三年(731)に没した。漢詩文の教養に富み、大宰帥として筑紫にあった時には、山上憶良らとともに歌の交流の中心となった。
初句「昔見し」 「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、かつて見た、の意である。
二句「象の小川を」 象の小川は吉野の象山から流れ出る小川である。
三句「今見れば」 初句の「昔」に対して「今」を置き、時の隔たりを示している。
四句「いよよさやけく」 「いよよ」はいよいよ、ますます、の意、「さやけし」は清らかですがすがしい意である。
結句「なりにけるかも」 「にける」は完了と過去、「かも」は詠嘆で、昔にもまして清らかになったと、吉野の地の変わらぬ、むしろ増す美しさをたたえて結んでいる。
きさのをがは:吉野の象山から流れ出て吉野川に注ぐ小川
- 作者
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大伴旅人
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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さざれ波磯越道なる能登瀬川 音のさやけさたぎつ瀬ごとに
- 次の歌
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田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける