この世にし楽しくあらば来む世には
虫に鳥にも我れはなりなむ
- 歌の意味
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この世で楽しく過ごせるならば、来世では虫にでも鳥にでも、私はなってしまおう。
- 鑑賞
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巻第三 雑歌 348
詞書は前の歌に続き「大宰帥大伴卿の酒を讃むる歌十三首」
大宰帥大伴卿の酒を讃むる歌十三首の十一首目である。仏教では酒を飲む戒めを破れば来世に畜生として生まれるとされるが、それを逆手にとり、この世で楽しく過ごせるなら、来世は虫や鳥になってもかまわないと言い放っている。現世の楽しみを肯定する大胆な発想に、旅人の人生観が表れている。
讃酒歌十三首は、大宰府にあった旅人が酒をたたえることを通して、世の賢しらを退け、人生の憂いを慰める思いを詠んだ一連で、中国の竹林の七賢などの故事を踏まえている。
作者の大伴旅人は大伴安麻呂の子で、中納言、大宰帥を経て大納言に至り、天平三年(731)に没した。漢詩文の教養に富み、大宰帥として筑紫にあった時には、山上憶良らとともに歌の交流の中心となった。
初句「この世にし」 この世で、の意で、「し」は強意の副助詞である。
二句「楽しくあらば」 楽しくあるならば、の意で、仮定条件である。
三句「来む世には」 来世には、の意である。初句の「この世」と対をなしている。
四句「虫に鳥にも」 虫にでも鳥にでも、の意である。
結句「我れはなりなむ」 「な」は完了、「む」は意志で、なってしまおう、と言い切って結んでいる。
こむよ:来世、生まれ変わった次の世
- 作者
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大伴旅人
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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世間の遊びの道に楽しきは 酔ひ泣きするにあるべくあるらし
- 次の歌
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生ける者遂にも死ぬるものにあれば この世なる間は楽しくをあらな