こもりくの初瀬の山の山の際に
いさよふ雲は妹にかもあらむ
- 歌の意味
-
初瀬の山の山あいに、ためらうように漂っている雲は、あの娘の火葬の煙なのであろうか。
- 鑑賞
-
巻第三 挽歌 428
詞書「土形娘子を泊瀬山に火葬する時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首」
土形娘子を泊瀬山で火葬した時の歌である。初瀬の山あいにためらうように漂う雲を、火葬の煙が雲となったものと見て、あれがあの娘なのだろうかと詠んでいる。火葬が広まり始めた時代の歌で、煙を雲に見立てることで、この世を去りがたい死者の思いを雲のためらいに重ねている。次歌以下の出雲娘子の歌と一連の火葬の歌として配されている。
作者の柿本人麻呂は、持統朝から文武朝にかけて活躍した宮廷歌人で、長歌と短歌の両方にすぐれ、後世「歌聖」と仰がれた。官位は低く、その生涯には不明な点が多い。
初句「こもりくの」 「泊瀬」にかかる枕詞である。
二句「初瀬の山の」 初瀬の山は大和国の泊瀬の山で、葬送の地として知られた。
三句「山の際に」 山と山の間に、の意である。次歌の初句「山の際ゆ」も同じ語を用いている。
四句「いさよふ雲は」 「いさよふ」はためらって進まない意で、立ち去りかねるように漂う雲は、の意である。
結句「妹にかもあらむ」 「か」は疑問、「む」は推量で、あの娘であろうか、と火葬の煙を娘の姿と見て結んでいる。
やまのま:山と山の間
いさよふ:ためらって進まない、漂う
- 作者
-
柿本人麻呂
- 出典
-
万葉集
- 前の歌
-
百足らず八十隈坂に手向けせば 過ぎにし人にけだし逢はむかも
- 次の歌
-
山の際ゆ出雲の子らは霧なれや 吉野の山の嶺にたなびく