みつみつし久米の若子がい触れけむ
磯の草根の枯れまく惜しも
- 歌の意味
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久米の若子が触れたであろう磯の草が、枯れてしまうのが惜しい。
- 鑑賞
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巻第三 挽歌 435
詞書は前の歌に続き「和銅四年辛亥、河辺宮人の姫島の松原に美人の屍を見て哀慟して作る歌四首」
河辺宮人の歌四首の二首目である。伝説の久米の若子が触れたという磯の草が枯れていくのを惜しんでいる。若く美しい人の命が失われたことを、磯の草の枯れることに重ね、亡き娘を悼んでいるとも解される。本巻の第三百七首の博通法師の歌にも久米の若子が詠まれている。
河辺宮人の歌四首は、和銅四年(711)に摂津の姫島の松原で若い女の遺体を見て、深く悲しんで詠んだ一連である。姫島は現在の大阪市西淀川区のあたりとされる。第四首の左注には、年月、場所、作者の名はすでに前に見える(巻第二の第二百二十八首と第二百二十九首を指す)が、歌の言葉が異なり、どちらが正しいか分からないので、重ねてここに載せる、とある。
作者の河辺宮人は奈良時代初めの人物であるが、伝は未詳である。
初句「みつみつし」 勢いの盛んな意で、「久米」にかかる枕詞である。
二句「久米の若子が」 久米の若子は伝説の若者で、本巻の第三百七首の二句と同じ句である。
三句「い触れけむ」 「い」は接頭語、「けむ」は過去推量で、触れたであろう、の意である。
四句「磯の草根の」 草根は草のことで、「ね」は接尾語である。
結句「枯れまく惜しも」 「まく」は推量の「む」のク語法で、枯れてしまうのが惜しい、と結んでいる。
わくご:若者、若君
くさね:草。「ね」は接尾語
- 作者
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河辺宮人
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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風早の美穂の浦廻の白つつじ 見れども寂しなき人思へば
- 次の歌
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人言の繁きこのころ玉ならば 手に巻き持ちて恋ひずあらましを