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人言の繁きこのころ玉ならば
手に巻き持ちて恋ひずあらましを

歌の意味
人のうわさがうるさいこのごろ、あなたが玉であったなら、手に巻いていつも持っていて、こんなに恋しく思わずにいられるだろうに。
鑑賞
巻第三 挽歌 436

詞書は前の歌に続き「和銅四年辛亥、河辺宮人の姫島の松原に美人の屍を見て哀慟して作る歌四首」
 河辺宮人の歌四首の三首目である。人のうわさがうるさいこのごろ、恋しい人が玉であったなら、いつも手に巻いて持っていられるのにと詠んでいる。挽歌の一連の中にあって恋の歌の趣をもち、亡くなった娘が生前にうわさに悩んだ恋を、娘の身に寄せて詠んだものとも解される。
 河辺宮人の歌四首は、和銅四年(711)に摂津の姫島の松原で若い女の遺体を見て、深く悲しんで詠んだ一連である。姫島は現在の大阪市西淀川区のあたりとされる。第四首の左注には、年月、場所、作者の名はすでに前に見える(巻第二の第二百二十八首と第二百二十九首を指す)が、歌の言葉が異なり、どちらが正しいか分からないので、重ねてここに載せる、とある。
 作者の河辺宮人は奈良時代初めの人物であるが、伝は未詳である。

 初句「人言の」 人言は世間の人のうわさである。
 二句「繁きこのころ」 うわさがうるさいこのごろ、の意である。
 三句「玉ならば」 あなたが玉であったなら、の意で、仮定条件である。
 四句「手に巻き持ちて」 手に巻いて持って、の意で、玉を手に巻く習いを踏まえている。
 結句「恋ひずあらましを」 「まし」は反実仮想、「を」は詠嘆で、恋しく思わずにいられるだろうに、と結んでいる。

ひとごと:世間の人のうわさ
作者
河辺宮人
出典
万葉集
前の歌
みつみつし久米の若子がい触れけむ 磯の草根の枯れまく惜しも
次の歌
妹も我れも清みの川の川岸の 妹が悔ゆべき心は持たじ