妹も我れも清みの川の川岸の
妹が悔ゆべき心は持たじ
- 歌の意味
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妻も私も清らかな、その清みの川の川岸が崩えるというが、そのように妻が悔やむような心は、決して持つまい。
- 鑑賞
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巻第三 挽歌 437
詞書は前の歌に続き「和銅四年辛亥、河辺宮人の姫島の松原に美人の屍を見て哀慟して作る歌四首」
河辺宮人の歌四首の四首目で、一連を締めくくる歌である。清みの川の川岸が崩れることから、同音の「悔ゆ」を導き、妻が悔やむような心は決して持つまいと誓っている。挽歌の一連の中に恋の誓いの歌が置かれている点は、前歌と同じである。上の三句は序詞で、「清み」に清らかな心の意を重ねている。この歌の左注に、巻第二の同じ題の歌との関係が記されている。
河辺宮人の歌四首は、和銅四年(711)に摂津の姫島の松原で若い女の遺体を見て、深く悲しんで詠んだ一連である。姫島は現在の大阪市西淀川区のあたりとされる。第四首の左注には、年月、場所、作者の名はすでに前に見える(巻第二の第二百二十八首と第二百二十九首を指す)が、歌の言葉が異なり、どちらが正しいか分からないので、重ねてここに載せる、とある。
作者の河辺宮人は奈良時代初めの人物であるが、伝は未詳である。
初句「妹も我れも」 妻も私も、の意である。
二句「清みの川の」 清みの川は清らかな川の意で、地名ともされる。「清み」に二人の心の清らかさを重ねている。
三句「川岸の」 川岸の、の意で、岸が崩える意から同音の「悔ゆ」を導く序詞となっている。
四句「妹が悔ゆべき」 妻が悔やむような、の意である。
結句「心は持たじ」 「じ」は打消の意志で、そのような心は持つまい、と誓って結んでいる。
くゆ:岸が崩れる意と、悔やむ意とを掛ける
- 作者
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河辺宮人
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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人言の繁きこのころ玉ならば 手に巻き持ちて恋ひずあらましを
- 次の歌
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愛しき人のまきてし敷栲の 我が手枕をまく人あらめや