我妹子が見し鞆の浦のむろの木は
常世にあれど見し人ぞなき
- 歌の意味
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妻が見た鞆の浦のむろの木は、今も変わらずにあるけれど、それを見た妻はもういない。
- 鑑賞
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巻第三 挽歌 446
詞書「天平二年庚午冬十二月、大宰帥大伴卿の京に向かひて上道する時に作る歌五首」
帰京の途上で詠んだ五首の一首目である。往路に妻とともに見た鞆の浦のむろの木は今も変わらずにあるのに、それを見た妻はもうこの世にいないと、変わらぬ自然と失われた人とを対比して嘆いている。三首目の左注に、この三首は鞆の浦を過ぎる日に作った歌とある。鞆の浦は現在の広島県福山市の港である。
天平二年(730)の冬十二月、大納言に任じられて大宰府から都へ上る途中の旅人が、往路に亡き妻とともに見た鞆の浦と敏馬の崎の景を、ひとりで再び見て詠んだ一連である。
作者の大伴旅人は大伴安麻呂の子で、中納言、大宰帥を経て大納言に至り、天平三年(731)に没した。漢詩文の教養に富み、大宰帥として筑紫にあった時には、山上憶良らとともに歌の交流の中心となった。
初句「我妹子が」 我妹子は妻を親しんで呼ぶ語である。
二句「見し鞆の浦の」 「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、妻が見た鞆の浦の、の意である。八音の字余りである。
三句「むろの木は」 むろの木はネズ(杜松)の古名とされ、鞆の浦の名木として知られた。
四句「常世にあれど」 常世は永久に変わらないことで、変わらずにあるけれど、の意である。
結句「見し人ぞなき」 「ぞ」は係助詞で、連体形「なき」と係り結びとなる。見た人はもういない、と二句と同じ「見し」を重ねて嘆きを強めている。
むろのき:ネズ(杜松)の古名とされる木
とこよ:永久に変わらないこと
- 作者
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大伴旅人
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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いつしかと待つらむ妹に玉梓の 言だに告げず去にし君かも
- 次の歌
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鞆の浦の磯のむろの木見むごとに 相見し妹は忘らえめやも