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行くさにはふたり我が見しこの崎を
ひとり過ぐれば心悲しも

歌の意味
行く時には二人で見たこの崎を、帰りにひとりで通り過ぎると、心悲しいことだ。
鑑賞
巻第三 挽歌 450

詞書は前の歌に続き「天平二年庚午冬十二月、大宰帥大伴卿の京に向かひて上道する時に作る歌五首」
 帰京の途上で詠んだ五首の五首目で、一連を締めくくる歌である。筑紫へ下る時には妻と二人で見たこの崎を、今はひとりで通り過ぎる悲しさを詠んでいる。「行くさ」と前歌の「帰るさ」、「ふたり」と「ひとり」を対比させ、往路と帰路の違いを際立たせている。左注に、この二首は敏馬の崎を過ぎる日に作った歌とある。原文の末尾には「一に云ふ、見も放かず来ぬ」の異伝の注記があり、ここでは本文を採った。
 天平二年(730)の冬十二月、大納言に任じられて大宰府から都へ上る途中の旅人が、往路に亡き妻とともに見た鞆の浦と敏馬の崎の景を、ひとりで再び見て詠んだ一連である。
 作者の大伴旅人は大伴安麻呂の子で、中納言、大宰帥を経て大納言に至り、天平三年(731)に没した。漢詩文の教養に富み、大宰帥として筑紫にあった時には、山上憶良らとともに歌の交流の中心となった。

 初句「行くさには」 「さ」は時を表す接尾語で、行く時には、の意である。前歌の三句「帰るさに」と対をなしている。
 二句「ふたり我が見し」 二人で私が見た、の意である。
 三句「この崎を」 敏馬の崎を指す。
 四句「ひとり過ぐれば」 ひとりで通り過ぎると、の意で、二句の「ふたり」と対比している。
 結句「心悲しも」 心悲しいことだ、の意で、「も」の詠嘆で結んでいる。異伝では「見も放かず来ぬ」とし、悲しさのあまり振り返って見ることもできずに来た、の意となる。

ゆくさ:行く時
作者
大伴旅人
出典
万葉集
前の歌
妹と来し敏馬の崎を帰るさに ひとりし見れば涙ぐましも
次の歌
人もなき空しき家は草枕 旅にまさりて苦しかりけり