はしきやし栄えし君のいましせば
昨日も今日も我を召さましを
- 歌の意味
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ああ慕わしい、栄えていらっしゃったわが君が生きておられたならば、昨日も今日も私をお呼びになったであろうに。
- 鑑賞
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巻第三 挽歌 454
詞書「天平三年辛未の秋七月、大納言大伴卿の薨ぜし時の歌六首」
大納言大伴旅人が亡くなった時の歌六首の一首目である。栄えていた主人が生きていれば、昨日も今日もいつものように自分をお呼びになったであろうにと、主人のいない日々のむなしさを詠んでいる。日常の小さなことに主人の不在を感じる、従者ならではの悲しみが表れている。
天平三年(731)秋七月、大納言大伴旅人が亡くなった時の歌六首は、仕えた主人を失った悲しみを詠んだ一連である。五首目の左注に、この五首は資人の余明軍が、主人を慕う心に堪えられず、心に深く感じて作った歌である、とある。
作者の余明軍は百済系の渡来人の子孫とされる人物で、大伴旅人の資人、すなわち従者であった。
初句「はしきやし」 ああ慕わしい、いとしい、の意の感動の語である。
二句「栄えし君の」 栄えていらっしゃった君が、の意で、大納言にまで昇った旅人を指す。
三句「いましせば」 「います」は「あり」の尊敬語、「せば」は反実仮想の仮定で、生きておられたならば、の意である。
四句「昨日も今日も」 昨日も今日も、の意で、変わらぬ日常を示している。
結句「我を召さましを」 「召す」はお呼びになる意、「まし」は反実仮想で、私をお呼びになったであろうに、と結んでいる。
めす:お呼びになる
- 作者
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余明軍
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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我妹子が植ゑし梅の木見るごとに 心咽せつつ涙し流る
- 次の歌
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かくのみにありけるものを萩の花 咲きてありやと問ひし君はも