我が大君天知らさむと思はねば
おほにぞ見ける和束杣山
- 歌の意味
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わが大君が天上をお治めになる、すなわちお亡くなりになるとは思わなかったので、なおざりに見ていたことだ。この和束の杣山を。
- 鑑賞
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巻第三 挽歌 476
詞書は前の歌に続き「十六年甲申春二月、安積皇子の薨ぜし時に、内舎人大伴宿禰家持の作る歌六首」の「反歌」
安積皇子を悼んだ長歌に添えられた反歌の一首目である。皇子が亡くなるとは思いもしなかったので、皇子の葬られた和束の杣山を、これまで何気なく見ていたと、突然の死への驚きと悔いを詠んでいる。次歌の左注に、この三首は二月三日に作った歌とある。
天平十六年(744)の春、聖武天皇の皇子の安積皇子が十七歳で急死した時、内舎人として仕えていた大伴家持が詠んだ挽歌の一連である。皇子は恭仁京に近い和束の山に葬られた。
作者の大伴家持は大伴旅人の子で、奈良時代の官人である。越中守、因幡守などを経て中納言に至り、延暦四年(785)に没した。万葉集の編纂に深く関わったとされる。安積皇子の死の時には内舎人として皇子に仕えていた。
初句「我が大君」 安積皇子を指し、六音の字余りである。
二句「天知らさむと」 「天知らす」は天上をお治めになる意で、皇子の死を婉曲にいう。
三句「思はねば」 思わなかったので、の意である。
四句「おほにぞ見ける」 「おほに」はいい加減に、なおざりに、の意で、「ぞ」は係助詞、「ける」の連体形と係り結びとなる。
結句「和束杣山」 和束は恭仁京に近い山城国の地で、杣山は材木を切り出す山である。体言止めで皇子の眠る山を示して結んでいる。
あめしらす:天上をお治めになる。貴人の死を婉曲にいう
そまやま:材木を切り出す山
- 作者
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大伴家持
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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昔こそ外にも見しか我妹子が 奥つ城と思へばはしき佐保山
- 次の歌
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あしひきの山さへ光り咲く花の 散りぬるごとき我が大君かも