はしきかも皇子の命のあり通ひ
見しし活道の道は荒れにけり
- 歌の意味
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慕わしいことよ。皇子がいつも通ってご覧になった活道の山への道は、今は荒れてしまった。
- 鑑賞
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巻第三 挽歌 479
詞書は前の歌に続き「十六年甲申春二月、安積皇子の薨ぜし時に、内舎人大伴宿禰家持の作る歌六首」の「反歌」
安積皇子を悼んだ二つ目の長歌に添えられた反歌の一首目である。皇子がいつも通って眺めていた活道の山への道は、主を失って荒れてしまったと、皇子の不在をその道の荒廃に見ている。次歌の左注に、この三首は三月二十四日に作った歌とある。活道は恭仁京に近い山とされる。
天平十六年(744)の春、聖武天皇の皇子の安積皇子が十七歳で急死した時、内舎人として仕えていた大伴家持が詠んだ挽歌の一連である。皇子は恭仁京に近い和束の山に葬られた。
作者の大伴家持は大伴旅人の子で、奈良時代の官人である。越中守、因幡守などを経て中納言に至り、延暦四年(785)に没した。万葉集の編纂に深く関わったとされる。安積皇子の死の時には内舎人として皇子に仕えていた。
初句「はしきかも」 「はしき」はいとしい、慕わしい意、「かも」は詠嘆で、慕わしいことよ、の意である。
二句「皇子の命の」 皇子を敬って呼ぶ言い方である。
三句「あり通ひ」 絶えず通って、の意である。
四句「見しし活道の」 「見す」は「見る」の尊敬語で、ご覧になった活道の、の意である。
結句「道は荒れにけり」 道は荒れてしまった、の意で、八音の字余りである。皇子の不在を道の荒廃に見て結んでいる。
めす:ご覧になる
いくぢ:恭仁京に近い山の名
- 作者
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大伴家持
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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あしひきの山さへ光り咲く花の 散りぬるごとき我が大君かも
- 次の歌
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大伴の名に負ふ靫帯びて万代に 頼みし心いづくか寄せむ