朝鳥の哭のみし泣かむ我妹子に
今またさらに逢ふよしをなみ
- 歌の意味
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朝の鳥が鳴くように、声を上げて泣いてばかりいよう。妻に今ふたたび逢う手だてがないので。
- 鑑賞
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巻第三 挽歌 483
詞書は前の歌に続き「死にし妻を悲傷する高橋朝臣の作る歌一首并せて短歌」の「反歌」
亡くなった妻を悼んだ長歌の反歌の二首目で、巻第三を締めくくる歌である。妻に再び逢う手だてがないので、朝の鳥が鳴くように声を上げて泣いてばかりいようと、慰めようのない悲しみを詠んでいる。本巻の第四百五十六首の「哭のみし泣かゆ」と同じ趣の句を用いている。巻頭の第二百三十五首が大君を神とたたえる晴れやかな宮廷讃歌であったのに対し、巻末は二度と逢えない妻を嘆く挽歌で結ばれ、雑歌から挽歌へと移る巻の構成を象徴している。なお本文の二句は「哭のみし泣かむ」とあり、読み仮名の行の「ねのみしなかゆ」と一致しない。ここでは本文の表記に従う。
左注には、この三首は天平十六年(744)の七月二十日に高橋朝臣が作った歌で、名は分からないが、奉膳の男子という、とある。
作者の高橋朝臣は、名が伝わらず、誰を指すかについて定説を見ない。朝臣は姓で、左注に奉膳の男子とあり、宮中の食膳をつかさどる内膳司の長官である奉膳の子とされる。
初句「朝鳥の」 朝鳥は朝に鳴く鳥で、鳥が声を上げて鳴くことから「哭」を導いている。
二句「哭のみし泣かむ」 「哭」は声を上げて泣くこと、「し」は強意、「む」は意志で、声を上げて泣いてばかりいよう、の意である。ここで句切れとなる。本巻の第四百五十六首の四句と同じ趣の句である。
三句「我妹子に」 妻に、の意である。
四句「今またさらに」 今ふたたび、改めて、の意である。
結句「逢ふよしをなみ」 よしは手だて、「を〜み」は原因を表し、逢う手だてがないので、と倒置で泣く理由を示して結んでいる。
あさとり:朝に鳴く鳥
ね:声を上げて泣く声
よし:手だて、方法
- 作者
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高橋朝臣
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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うつせみの世のことにあれば外に見し 山をや今はよすかと思はむ
- 次の歌
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一日こそ人も待ちよき長き日を かくのみ待たば有りかつましじ