山の端にあぢ群騒き行くなれど
我れは寂しゑ君にしあらねば
- 歌の意味
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山の端をあじ鴨の群れが鳴き騒いで飛んで行くようだけれど、私は寂しいことよ。それはあなたではないのだから。
- 鑑賞
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巻第四 相聞 486
詞書は前の歌に続き「反歌」
岡本天皇の御製とされる長歌(第四百八十五首)に添えられた反歌である。山の端をあじ鴨の群れがにぎやかに飛んで行くが、その中に恋しい君はいないので寂しいと詠む。長歌で国に満ちて行き交う人々を「あぢ群の通ひは行けど」とたとえた部分を受け、にぎわいと孤独の対比をいっそう鮮やかにしている。
左注は、高市岡本宮と後岡本宮とで二代の天皇がいるため、岡本天皇が誰を指すかは明らかでないと記す。
作者の岡本天皇は、飛鳥の岡本宮に宮を置いた天皇を指し、舒明天皇とも皇極(斉明)天皇ともいわれ、誰を指すかについて定説を見ない。女性の立場で詠まれていることから、皇極(斉明)天皇とみる説が有力である。
初句「山の端に」は、山の稜線のあたりをいう。空と山の境という遠景を最初に置き、視線を上へ導いている。
二句「あぢ群騒き」は、あじ鴨の群れが鳴き騒ぐさまである。長歌の「あぢ群」の語を反歌でも繰り返し、群れのにぎわいを強調する。
三句「行くなれど」の「なれ」は伝聞推定の助動詞「なり」の已然形で、鳴き声によって群れが飛んで行くのを知る意を表す。「ど」は逆接である。
四句「我れは寂しゑ」の「ゑ」は詠嘆の間投助詞で、群れと対照的なわが身の孤独を強く言い切る。ここで切れる四句切れである。
結句「君にしあらねば」は長歌の結びに近い部分と同じ句で、長歌と反歌を結びつける。「し」は強意の副助詞、「ねば」は打消の已然形に「ば」がついた確定条件で、倒置によって寂しさの理由を後から示している。
あぢむら:あじ鴨(ともえ鴨)の群れ
やまのは:山の稜線、山が空に接するあたり
- 作者
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岡本天皇
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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一日こそ人も待ちよき長き日を かくのみ待たば有りかつましじ
- 次の歌
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近江道の鳥篭の山なる不知哉川 日のころごろは恋ひつつもあらむ