- 歌の意味
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真野の浦の淀にかかる継ぎ橋のように絶え間なく、心の底からあの子が思ってくれているからだろうか、あの子が夢に見えることだ。
- 鑑賞
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巻第四 相聞 490
詞書「吹芡刀自の歌二首」
真野の浦の淀にかかる継ぎ橋を序として、恋しい人が夢に現れることを詠んだ歌である。相手が自分を深く思うとその姿が夢に現れるという当時の考え方にもとづき、あの子が夢に見えるのは心の底から思ってくれているからかと喜ぶ。女性である作者が「妹」と詠むことから、男性の立場の歌を伝え詠んだものとも、男の心変わりを皮肉ったものともいわれる。
作者の吹芡刀自は、伝未詳の女性である。「刀自」は一家の主婦や年配の女性を敬っていう語で、十市皇女に仕えた人物とも伝えられる。
初句「真野の浦の」は、摂津国の真野(今の神戸市長田区付近)とする説と、近江国の真野とする説がある入り江である。六音の字余りで歌い起こしている。
二句「淀の継橋」は、水の淀んだ所に板をつぎつぎに渡して架けた橋である。橋が途切れず続くさまから、初句と合わせて三句以下を導く序詞となる。
三句「心ゆも」の「ゆ」は起点を表す上代の格助詞で、心の底からの意となる。継ぎ橋の続くさまを受けて、途切れない思いを表す。
四句「思へや妹が」の「思へや」は已然形に係助詞「や」がついた疑問の条件で、思っているからだろうかの意である。「や」の結びは結句の「見ゆる」となる。
結句「夢にし見ゆる」は、副助詞「し」で夢を強め、係助詞「や」を受けて連体形で結ぶ。夢に見えることを、相手の思いのしるしとして受け止めている。
つぎはし:板を継ぎ足して渡した橋
いめ:夢。上代の語形
- 作者
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吹芡刀自
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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風をだに恋ふるは羨し風をだに 来むとし待たば何か嘆かむ
- 次の歌
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川上のいつ藻の花のいつもいつも 来ませ我が背子時じけめやも