川上のいつ藻の花のいつもいつも
来ませ我が背子時じけめやも
- 歌の意味
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川のほとりに咲くいつ藻の花の名のように、いつもいつもおいでください、あなた。来てはいけない時などありはしないのだから。
- 鑑賞
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巻第四 相聞 491
詞書は前の歌に続き「吹芡刀自の歌二首」
川のほとりに咲くいつ藻の花を序とし、その「いつも」の音を重ねて、いつでも訪ねてきてほしいと恋人を誘う歌である。来てはならない時などないと言い切り、女性の側から開かれた心を率直に示している。
前歌が夢に見える相手を思う受け身の歌であったのに対し、本歌は相手の来訪を積極的に促しており、二首で恋う心の二つの面を描き出している。
作者の吹芡刀自は、伝未詳の女性である。「刀自」は一家の主婦や年配の女性を敬っていう語で、十市皇女に仕えた人物とも伝えられる。
初句「川上の」は、川のほとり、川辺の意とされる。川の上流の意にも解されるが、ここでは水辺の景を示す。
二句「いつ藻の花の」は、水中に茂る藻の花である。「いつ藻」の「いつ」の音から三句の「いつも」を引き出し、初句と合わせて序詞となる。
三句「いつもいつも」は、同じ語を重ねて、時を選ばず常にの意を強めている。序詞から本旨へ転じる要の句である。
四句「来ませ我が背子」の「ませ」は尊敬の補助動詞「ます」の命令形で、おいでくださいと呼びかける。ここで切れる四句切れである。
結句「時じけめやも」の「時じ」は時節にかなわないの意の形容詞、「めやも」は反語で、来てはならない時などあろうか、いやないの意となる。
いつも:水中に生える藻。「いつ」は茂ったさまを表すともいう
せこ:女性が夫や恋人を親しんで呼ぶ語
- 作者
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吹芡刀自
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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真野の浦の淀の継橋心ゆも 思へや妹が夢にし見ゆる
- 次の歌
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衣手に取りとどこほり泣く子にも まされる我れを置きていかにせむ