み熊野の浦の浜木綿百重なす
心は思へど直に逢はぬかも
- 歌の意味
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熊野の浦に生える浜木綿の葉が幾重にも重なっているように、心では幾重にもあなたを思っているけれど、じかに逢うことはできないことだ。
- 鑑賞
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巻第四 相聞 496
詞書「柿本朝臣人麻呂の歌四首」
熊野の浦の浜木綿を序として、幾重にも重なる思いを抱きながら、直接には逢えない嘆きを詠んだ歌である。浜木綿の葉が幾重にも重なって茎のように見えるさまを、胸の奥に積もる恋心にたとえている。紀伊の風物を生かした印象鮮やかな比喩で、人麻呂の相聞歌の中でもよく知られた一首である。
作者の柿本人麻呂は、持統天皇、文武天皇の時代に活躍した宮廷歌人で、長歌、短歌ともにすぐれ、後世に歌聖と仰がれた。
後世にも愛誦され、三句を「百重なる」とする形で拾遺和歌集に入っている。
初句「み熊野の」の「み」は美称の接頭語で、紀伊国の熊野をたたえていう。
二句「浦の浜木綿」の浜木綿は、海辺に生えるヒガンバナ科の植物で、葉が幾重にも重なって茎のように見える。初句から三句までが序詞となる。
三句「百重なす」は、幾重にも重なっているようにの意である。「なす」は「〜のように」の意の接尾語で、浜木綿の姿から心の重なりへと転じる。
四句「心は思へど」は、心では深く思っているけれどの意である。「ど」は逆接で、思いの深さと逢えない現実とを対比する。
結句「直に逢はぬかも」の「直に」はじかにの意、「かも」は詠嘆である。心の中の百重の思いに対し、現実には逢えないという落差を嘆いて結ぶ。本巻の第四百九十九首の初句「百重にも」と響き合い、一連の首尾を結んでいる。
はまゆふ:海辺に生えるヒガンバナ科の多年草。葉が幾重にも重なる
- 作者
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柿本人麻呂
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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朝日影にほへる山に照る月の 飽かざる君を山越しに置きて
- 次の歌
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いにしへにありけむ人も我がごとか 妹に恋ひつつ寐ねかてずけむ