百重にも来及かぬかもと思へかも
君が使の見れど飽かずあらむ
- 歌の意味
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百回でも重ねてやって来てほしいと思うからだろうか、あなたの使いは、いくら見ても見飽きないことだ。
- 鑑賞
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巻第四 相聞 499
詞書は前の歌に続き「柿本朝臣人麻呂の歌四首」
恋人からの使いがいくら来ても見飽きないのは、百回でも重ねて来てほしいと思っているからだろうか、と詠む。使いの者を通して恋人とのつながりを感じ、その来訪を待ちわびる心が素直に表れている。「君」と呼びかけることから女性の立場の歌とも解され、人麻呂が相手の女性の心になって詠んだとみる説もある。
作者の柿本人麻呂は、持統天皇、文武天皇の時代に活躍した宮廷歌人で、長歌、短歌ともにすぐれ、後世に歌聖と仰がれた。
初句「百重にも」は、百回も重ねての意である。四首の一首目の三句「百重なす」と同じ「百重」の語を用い、一連の始めと終わりを呼応させている。
二句「来及かぬかもと」の「来及く」は次々に追いかけて来るの意、「ぬかも」は願望を表し、次々にやって来てほしいとの意となる。
三句「思へかも」は已然形に「かも」がついた疑問の条件で、思っているからだろうかの意となる。結びは結句の「む」の連体形である。
四句「君が使の」は、あなたからの使いのの意である。恋人本人ではなく、その使いを通して恋人を思う心を表す。
結句「見れど飽かずあらむ」は、見ても見飽きないのだろうの意で、「かも」を受けて連体形で結ぶ。
しく:追いつく、及ぶ。「来及く」は次々に来る意
つかひ:恋人の間を行き来して手紙や言葉を伝える者
- 作者
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柿本人麻呂
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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今のみのわざにはあらずいにしへの 人ぞまさりて音にさへ泣きし
- 次の歌
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神風の伊勢の浜荻折り伏せて 旅寝やすらむ荒き浜辺に