神風の伊勢の浜荻折り伏せて
旅寝やすらむ荒き浜辺に
- 歌の意味
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伊勢の浜の荻を折り敷いて、夫は今ごろ旅寝をしているのだろうか。荒々しい浜辺で。
- 鑑賞
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巻第四 相聞 500
詞書「碁檀越の伊勢国に往く時に、留まれる妻の作る歌一首」
伊勢の国へ旅立った夫の身を案じ、家に残った妻が詠んだ歌である。夫は今ごろ浜辺の荻を折り敷いて、荒涼とした浜辺で旅寝をしているのだろうかと思いやる。旅先の具体的な光景を想像することで、夫を気づかう細やかな情が伝わってくる。
作者の碁檀越の妻は、伝未詳の女性である。夫の碁檀越も伝未詳で、「檀越」が寺院に財物を施す信者を指す語であることから、仏教に帰依した人物かとみられる。
初句「神風の」は「伊勢」にかかる枕詞である。神風の吹く伊勢の意とされ、伊勢の神聖さを感じさせる。
二句「伊勢の浜荻」は、伊勢の浜辺に生える荻である。この語は後世、同じ物も所によって呼び名が変わることのたとえとしても知られる。
三句「折り伏せて」は、荻を折って敷き、寝床にしての意である。夫の旅寝の具体的な姿を思い描いている。
四句「旅寝やすらむ」の「や」は疑問の係助詞、「らむ」は現在推量で、今ごろ旅寝をしているのだろうかの意となる。「らむ」の連体形で結び、ここで切れる四句切れである。
結句「荒き浜辺に」は、荒々しい浜辺にの意で、倒置によって旅寝の場所を最後に示し、夫を案じる思いを強めている。
はまをぎ:浜辺に生える荻。葦の一種ともいう
だんをち:寺院に財物を施す信者、施主
- 作者
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碁檀越の妻
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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百重にも来及かぬかもと思へかも 君が使の見れど飽かずあらむ
- 次の歌
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娘子らが袖布留山の瑞垣の 久しき時ゆ思ひき我れは