- 歌の意味
-
夏の野を行く牡鹿の生えはじめの角が短いように、ほんのわずかの間でも、妻の心を忘れて思うことがあろうか。
- 鑑賞
-
巻第四 相聞 502
詞書は前の歌に続き「柿本朝臣人麻呂の歌三首」
夏野を行く牡鹿の生えかわったばかりの短い角を序として、ほんのわずかの間も妻の心を忘れることはないと詠む歌である。夏の鹿の角の短さという鋭い観察を、時間の短さの比喩に転じた点に独自性がある。前歌が瑞垣の古さで思いの長さを歌ったのに対し、本歌は角の短さで一瞬を表し、長短の対比をなしている。
作者の柿本人麻呂は、持統天皇、文武天皇の時代に活躍した宮廷歌人で、長歌、短歌ともにすぐれ、後世に歌聖と仰がれた。
初句「夏野行く」は、夏の野を行くの意で、生い茂る夏草の中を行く鹿の姿を思わせる。
二句「牡鹿の角の」は、雄鹿の角のの意である。夏の鹿の角は生えかわって間もなく短いことから、初句と合わせて三句の「束の間」を導く序詞となる。
三句「束の間も」の「束」はひと握りほどの長さで、ほんの短い間もの意となる。鹿の角の短さを時間の短さに転じている。
四句「妹が心を」は、妻の心をの意である。妻の姿ではなく心を思うところに、深い信頼が感じられる。
結句「忘れて思へや」の「や」は反語で、忘れて思うことがあろうか、いやないの意となる。
つか:ひと握りほどの長さ。短い間のたとえ
をしか:雄の鹿
- 作者
-
柿本人麻呂
- 出典
-
万葉集
- 前の歌
-
娘子らが袖布留山の瑞垣の 久しき時ゆ思ひき我れは
- 次の歌
-
玉衣のさゐさゐしづみ家の妹に 物言はず来にて思ひかねつも