我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の
名張の山を今日か越ゆらむ
- 歌の意味
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私の夫は今ごろどのあたりを旅しているのだろうか。名張の山を今日は越えているのだろうか。
- 鑑賞
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巻第四 相聞 511
詞書「伊勢国に幸す時に、当麻麻呂大夫の妻の作る歌一首」
天皇の伊勢行幸に従った夫の旅路を思い、家に残った妻が詠んだ歌である。夫は今ごろどこを行くのだろう、名張の山を今日は越えているのだろうかと、旅の道筋をたどるように思いやる。同じ歌は巻第一の第四十三首にも「当麻真人麻呂の妻の作る歌」として収められており、持統天皇の伊勢行幸の折の作とされる。
本巻の第五百首も、伊勢へ旅立った夫を家に残った妻が思う歌であり、同じ趣向の歌が本巻の中で響き合っている。
作者の当麻麻呂の妻は、伝未詳の女性である。夫の当麻麻呂は当麻真人麻呂とされ、「大夫」は五位以上の官人を敬っていう語である。
初句「我が背子は」は、私の夫はと、旅にある夫を思い起こす言葉である。
二句「いづく行くらむ」の「らむ」は現在推量で、今ごろどこを行っているのだろうかの意となる。ここで切れる二句切れである。
三句「沖つ藻の」は、沖の藻が水に隠れる意から「名張」にかかる枕詞である。「なばる」は隠れるの意の古語で、原文の「隠」の字もそれを示している。
四句「名張の山を」は、伊賀国の名張にある山で、大和から伊勢へ向かう道筋にあたる。
結句「今日か越ゆらむ」の「か」は疑問の係助詞、「らむ」は現在推量の連体形で、今日は越えているのだろうかの意となる。二句の「らむ」と響き合い、夫の旅路を追う心を表している。
なばる:隠れる
せこ:女性が夫や恋人を親しんで呼ぶ語
- 作者
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当麻麻呂の妻
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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白栲の袖解き交へて帰り来む 月日を数みて行きて来ましを
- 次の歌
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秋の田の穂田の刈りばかか寄りあはば そこもか人の我を言成さむ