大原のこのいち柴のいつしかと
我が思ふ妹に今夜逢へるかも
- 歌の意味
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大原のこの茂った柴の名のように、いつになったら逢えるのかと私が思い続けていたあの子に、今夜ついに逢えたことだ。
- 鑑賞
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巻第四 相聞 513
詞書「志貴皇子の御歌一首」
大原に茂る柴を序として、いつ逢えるかと待ち望んでいた女性に今夜ついに逢えた喜びを詠む歌である。待ち焦がれた末の逢瀬の喜びを、素直な言葉で表している。本巻には待つ苦しみを詠む歌が多い中で、待った末に逢えた喜びを歌う点で対照的である。
作者の志貴皇子は、天智天皇の皇子で、光仁天皇の父にあたる。清らかな自然詠で知られる歌人である。
初句「大原の」は、大和国高市郡の大原(今の明日香村小原)とされる地名である。
二句「このいち柴の」の「いち柴」は、茂った柴、あるいは櫟の柴とされる。「いち」の音から三句の「いつしか」を導き、初句と合わせて序詞となる。
三句「いつしかと」は、早くと待ち望む意で、いつになったらと願い続けてきた思いを表す。
四句「我が思ふ妹に」は、私が思い慕う女性にの意で、長く思い続けてきた相手であることを示す。
結句「今夜逢へるかも」の「る」は完了の助動詞「り」の連体形、「かも」は詠嘆で、今夜逢えたことだの意となる。待ち望んだ末の喜びを率直に言い切っている。
いちしば:茂った柴。櫟の柴とする説もある
- 作者
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志貴皇子
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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秋の田の穂田の刈りばかか寄りあはば そこもか人の我を言成さむ
- 次の歌
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我が背子が着せる衣の針目おちず 入りにけらしも我が心さへ