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春日野の山辺の道をよそりなく
通ひし君が見えぬころかも

歌の意味
春日野の山辺の道を、ほかに心を寄せることもなく通って来ていたあなたが、このごろは姿を見せないことだ。
鑑賞
巻第四 相聞 518

詞書「石川郎女の歌一首 すなはち佐保の大伴の大家なり」
 春日野の山辺の道をひたすら通って来ていた夫が、このごろは訪れなくなったと嘆く歌である。詞書の注によれば作者は佐保の大伴家の主婦で、大伴安麻呂の妻にあたる。前歌の安麻呂の歌と並べられ、夫婦の歌として読むことができる。
 作者の石川郎女は、大伴安麻呂の妻で、坂上郎女の母である石川内命婦と同一人物とみられる。「大家」は一家の主婦を敬っていう語である。

 初句「春日野の」は、奈良の都の東に広がる春日野で、夫が通った道の場所を示す。
 二句「山辺の道を」は、山のふもとに沿った道をの意で、夫が通って来た道筋を思わせる。
 三句「よそりなく」は、ほかに心を寄せることもなくの意と解されるが、語義には諸説がある。
 四句「通ひし君が」の「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、かつては通って来ていたあなたがの意となる。
 結句「見えぬころかも」は、姿を見せないこのごろだの意で、「かも」は詠嘆である。かつての熱心な訪れと今の途絶えとを対比し、寂しさをにじませている。

よそる:心を寄せる、なびき寄る
作者
石川郎女
出典
万葉集
前の歌
神木にも手は触るといふをうつたへに 人妻といへば触れぬものかも
次の歌
雨障み常する君はひさかたの 昨夜の夜の雨に懲りにけむかも