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春雨を待つとにしあらし我がやどの
若木の梅もいまだふふめり

歌の意味
春雨を待っているのであるらしい。私の家の若木の梅も、まだつぼみのままである。
鑑賞
巻第四 相聞 792

詞書は前の歌に続き「藤原朝臣久須麻呂の来報ふる歌二首」
 本巻の最後の歌である。家持の第七百八十六首「春の雨はいやしき降るに梅の花いまだ咲かなく」を受けて、我が家の若木の梅もまだつぼみのままで、春雨を待っているらしいと答える。梅の若木に家持の娘をたとえ、時が来るのを待とうとする久須麻呂の心を表している。
 巻頭の第四百八十四首が「待つ」ことの苦しさを歌ったのに対し、巻末の本歌は時が満ちるのを「待つ」穏やかな心を歌っており、本巻が「待つ」心で始まり「待つ」心で終わる構成となっている。
 作者の藤原久須麻呂は、藤原仲麻呂の子で、奈良時代の官人である。

 初句「春雨を」は、春雨をの意で、第七百八十六首の「春の雨」を受けている。
 二句「待つとにしあらし」の「らし」は根拠のある推定で、待っているのであるらしいの意となる。ここで切れる二句切れである。
 三句「我がやどの」は、私の家のの意である。
 四句「若木の梅も」は、若木の梅もの意で、第七百八十六首の「梅の花」を受けている。
 結句「いまだふふめり」の「ふふむ」はつぼみのままでいるの意で、まだつぼみのままであるの意となる。

ふふむ:花がつぼみのままでいる
わかぎ:若い木
作者
藤原久須麻呂
出典
万葉集
前の歌
奥山の岩蔭に生ふる菅の根の ねもころ我れも相思はざれや
次の歌
世間は空しきものと知る時し いよよますます悲しかりけり