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梅の花今咲けるごと散り過ぎず
我が家の園にありこせぬかも

歌の意味
梅の花よ、今咲いているように、散り過ぎることなく、わが家の庭にいつまでもあってくれないものか。
鑑賞
巻第五 雑歌 816

詞書は前の歌に続き「梅花の歌三十二首 并せて序」
 今咲いているままに散らずに、わが家の庭にいつまでもあってほしいと梅に願う一首である。宴の主人の庭の梅の見事さをたたえつつ、盛りの美しさを惜しむ心を表している。
 天平二年正月十三日、大宰帥大伴旅人の邸宅に大宰府の官人や九州諸国の国司らが集い、庭の梅を題に詠み合った「梅花の宴」の歌三十二首の一首である。漢文の序は、初春の令月に気は良く風は和らぎ、梅は鏡の前の白粉のように白く開き、蘭は身に帯びた香のように薫ると記し、令和の元号の典拠となったことでも知られる。序は、中国の詩文に落梅の篇があるように、園の梅を題に短歌を詠もうと結ばれている。歌の末尾に「少弐小野大夫」とある。少弐は大弐に次ぐ大宰府の次官で、大夫は五位以上の官人への敬称である。
 作者の小野老は、小野氏の官人で、この時大宰少弐の任にあった。のちに大宰大弐に進み、天平九年に没した。

 初句「梅の花」は、宴の主題である梅への呼びかけで、梅花の宴の歌の多くがこの句で始まる。
 二句「今咲けるごと」は、今咲いているように、の意で、目の前の盛りの状態を指す。
 三句「散り過ぎず」は、散って盛りを過ぎることなく、の意で、次の句に続く。
 四句「我が家の園に」は、自分の家の庭に、の意とも、宴の場である主人の庭を指すともとれる。
 結句「ありこせぬかも」の「こせ」は…してくれる意の助動詞「こす」の未然形、「ぬかも」は願望を表し、あってくれないものかと願って結ぶ。

その:庭園。草木を植えた庭
作者
小野老
出典
万葉集
前の歌
正月立ち春の来らばかくしこそ 梅を招きつつ楽しき終へめ
次の歌
梅の花咲きたる園の青柳は 蘰にすべくなりにけらずや