古典和歌stream

人ごとに折りかざしつつ遊べども
いやめづらしき梅の花かも

歌の意味
人それぞれに枝を折って髪に挿しては遊ぶけれども、いよいよ見飽きることのない梅の花であることよ。
鑑賞
巻第五 雑歌 828

詞書は前の歌に続き「梅花の歌三十二首 并せて序」
 誰もが梅を折って髪に挿し遊んでいるが、それでもますます心ひかれる梅の花だと詠む一首である。宴の人々がみな梅を愛でる光景を描きつつ、何度見ても新鮮な梅の魅力をたたえている。
 天平二年正月十三日、大宰帥大伴旅人の邸宅に大宰府の官人や九州諸国の国司らが集い、庭の梅を題に詠み合った「梅花の宴」の歌三十二首の一首である。漢文の序は、初春の令月に気は良く風は和らぎ、梅は鏡の前の白粉のように白く開き、蘭は身に帯びた香のように薫ると記し、令和の元号の典拠となったことでも知られる。序は、中国の詩文に落梅の篇があるように、園の梅を題に短歌を詠もうと結ばれている。歌の末尾に「大判事丹氏麻呂」とある。大判事は大宰府で裁判をつかさどる官で、丹氏を丹治比氏とするか丹波氏などとするかは定まらない。
 作者の丹氏麻呂は、大宰府の大判事の任にあった官人である。

 初句「人ごとに」は、人それぞれに、の意で、宴に集う人々をひとまとめに捉える。
 二句「折りかざしつつ」は、枝を折って髪に挿しては、の意で、本巻の第八百四十三首にも同じ句がみえる。
 三句「遊べども」は逆接で、十分に遊んだけれども、と次へ転じる。第八百三十六首も同じ「遊べども」を三句に置く。
 四句「いやめづらしき」の「いや」はいよいよ、ますますの意、「めづらし」は見飽きず心ひかれる意である。
 結句「梅の花かも」の「かも」は詠嘆で、梅への賛嘆を体言に託して結ぶ。

かざす:花や枝を髪に挿して飾る
作者
丹氏麻呂
出典
万葉集
前の歌
春されば木末隠りて鴬ぞ 鳴きて去ぬなる梅が下枝に
次の歌
梅の花咲きて散りなば桜花 継ぎて咲くべくなりにてあらずや