霞立つ長き春日をかざせれど
いやなつかしき梅の花かも
- 歌の意味
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霞の立つ長い春の日を一日中髪に挿していても、ますます心ひかれる梅の花であることよ。
- 鑑賞
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巻第五 雑歌 846
詞書は前の歌に続き「梅花の歌三十二首 并せて序」
霞の立つ長い春の日を一日じゅう髪に挿していても、ますます心ひかれる梅の花だと詠む一首である。梅花の宴の三十二首の最後を飾る歌で、飽きることのない梅の魅力をたたえて一連を締めくくっている。
天平二年正月十三日、大宰帥大伴旅人の邸宅に大宰府の官人や九州諸国の国司らが集い、庭の梅を題に詠み合った「梅花の宴」の歌三十二首の一首である。漢文の序は、初春の令月に気は良く風は和らぎ、梅は鏡の前の白粉のように白く開き、蘭は身に帯びた香のように薫ると記し、令和の元号の典拠となったことでも知られる。序は、中国の詩文に落梅の篇があるように、園の梅を題に短歌を詠もうと結ばれている。歌の末尾に「小野氏淡理」とある。淡理は田守の名を字音で表したものとされる。
作者の小野田守は、小野氏の官人で、のちに遣新羅大使や遣渤海使をつとめた。
初句「霞立つ」は、霞がたなびく意で、「春日」にかかる枕詞として用いられる。
二句「長き春日を」は、日の長い春の一日を、の意である。
三句「かざせれど」は、髪に挿しているけれども、の意で、逆接で次へ転じる。
四句「いやなつかしき」の「なつかし」は心ひかれ離れがたい意で、「いや」がそれを強める。第八百二十八首の「いやめづらしき」と同じ形の句である。
結句「梅の花かも」は、第八百二十八首や第八百四十四首と同じ結句で、三十二首の最後を梅への賛嘆で締めくくる。
かざす:花や枝を髪に挿して飾る
- 作者
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小野田守
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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鴬の待ちかてにせし梅が花 散らずありこそ思ふ子がため
- 次の歌
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我が盛りいたくくたちぬ雲に飛ぶ 薬食むともまた変若めやも