人皆の見らむ松浦の玉島を
見ずてや我れは恋ひつつ居らむ
- 歌の意味
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人々が皆見ているであろう松浦の玉島を、見ることもないまま、私は恋い慕い続けているのだろうか。
- 鑑賞
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巻第五 雑歌 862
詞書は前の歌に続き「後の人の追和する詩三首 帥老」
人は皆見ているだろう松浦の玉島を、自分は見ないまま恋しく思い続けるのだろうかと詠む一首である。物語の舞台に行けない身のもどかしさを通して、娘子らへのあこがれを表している。
題詞に「後の人の追和する詩三首」とあり、「帥老」の注記から、大宰帥の老人すなわち大伴旅人が、松浦河の物語の歌に後から和した作であることがわかる。物語の登場人物ではなく、それを聞いた後の人という立場を設けて詠むところに、虚構を楽しむ趣向がある。
作者の大伴旅人は、大納言大伴安麻呂の子で、大伴家持の父である。神亀年間の末に大宰帥として筑紫に下り、天平二年に大納言となって帰京し、翌年に没した。漢詩文や老荘思想に通じ、大宰府で山上憶良らと文雅の交わりを結び、その集まりは筑紫歌壇と呼ばれる。
初句「人皆の」は、世の人々がみな、の意である。
二句「見らむ松浦の」の「見らむ」は「見るらむ」の古い形で、今ごろ見ているだろう、の意である。
三句「玉島を」は、娘子らの住む玉島の地をいう。
四句「見ずてや我れは」の「や」は疑問の係助詞で、結句の「む」と呼応する。人々と自分とを対比している。
結句「恋ひつつ居らむ」は、恋い続けているのだろうか、の意で、四句の「や」を受けて結ぶ。
をる:いる。「恋ひつつ居り」で恋い続けている意となる
- 作者
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大伴旅人
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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松浦川川の瀬早み紅の 裳の裾濡れて鮎か釣るらむ
- 次の歌
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松浦川玉島の浦に若鮎釣る 妹らを見らむ人の羨しさ