- 歌の意味
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松浦川の玉島の浦で若鮎を釣る娘子らを見ているであろう人の、なんとうらやましいことか。
- 鑑賞
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巻第五 雑歌 863
詞書は前の歌に続き「後の人の追和する詩三首 帥老」
玉島の浦で若鮎を釣る娘子らを見ているだろう人がうらやましいと詠む一首である。前歌の見られない嘆きを受け、見ることのできる人への羨望で三首を結んでいる。
題詞に「後の人の追和する詩三首」とあり、「帥老」の注記から、大宰帥の老人すなわち大伴旅人が、松浦河の物語の歌に後から和した作であることがわかる。物語の登場人物ではなく、それを聞いた後の人という立場を設けて詠むところに、虚構を楽しむ趣向がある。
作者の大伴旅人は、大納言大伴安麻呂の子で、大伴家持の父である。神亀年間の末に大宰帥として筑紫に下り、天平二年に大納言となって帰京し、翌年に没した。漢詩文や老荘思想に通じ、大宰府で山上憶良らと文雅の交わりを結び、その集まりは筑紫歌壇と呼ばれる。
初句「松浦川」は、追和三首の初句に置かれた語で、一連をまとめる。
二句「玉島の浦に」は、玉島川の河口近くの浦をいう。
三句「若鮎釣る」は六音の字余りで、第八百五十七首の三句と同じ句を用いる。
四句「妹らを見らむ」は、娘子らを今ごろ見ているであろう、の意で、前歌の「見らむ」を受ける。
結句「人の羨しさ」の「羨し」はうらやましい意で、名詞形「羨しさ」で言い止める体言止めである。
うら:入り江、海岸
わかゆ:若い鮎
- 作者
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大伴旅人
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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人皆の見らむ松浦の玉島を 見ずてや我れは恋ひつつ居らむ
- 次の歌
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後れ居て長恋せずは御園生の 梅の花にもならましものを