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かくのみや息づき居らむあらたまの
来経行く年の限り知らずて

歌の意味
このようにばかり、ため息をついて過ごすのだろうか。来ては過ぎてゆく年の、終わりも知らないままに。
鑑賞
巻第五 雑歌 881

詞書は前の歌に続き「敢へて私懐を布ぶる歌三首」
 いつまで続くとも知れない年月を、このようにため息ばかりついて過ごすのだろうかと嘆く一首である。任期の終わりが見えない地方暮らしの憂いを、年月の流れとともに表している。
 題詞の「敢へて私懐を布ぶる」は、あえて個人的な思いを述べるという意で、送別の歌に続けて自らの願いを述べたものである。左注に天平二年十二月六日、筑前国守山上憶良が謹んで奉ったとある。
 作者の山上憶良は、大宝元年に任じられた遣唐使の少録として唐に渡った官人で、帰国後は伯耆守や東宮に仕える役などを経て、神亀年間の末に筑前守として筑紫に赴任した。人生の苦しみや家族への情愛、貧しさなど、暮らしに根ざした主題を、漢籍や仏典の教養を背景に詠んだ歌人として知られる。

 初句「かくのみや」の「や」は疑問の係助詞で、二句の「む」と呼応する。
 二句「息づき居らむ」の「息づく」はため息をつく意で、ここで句が切れる二句切れである。
 三句「あらたまの」は「年」にかかる枕詞である。
 四句「来経行く年の」は、来ては過ぎていく年の、の意である。
 結句「限り知らずて」は、その終わりも知らないで、の意で、倒置によって先の見えない嘆きを最後に示して結ぶ。

いきづく:ため息をつく、嘆く
きふ:年月が来ては過ぎていく
作者
山上憶良
出典
万葉集
前の歌
天離る鄙に五年住まひつつ 都のてぶり忘らえにけり
次の歌
我が主の御霊賜ひて春さらば 奈良の都に召上げたまはね