朝露の消やすき我が身他国に
過ぎかてぬかも親の目を欲り
- 歌の意味
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朝露のように消えやすいわが身だが、この他国で死ぬことはできそうにない。親に一目会いたくて。
- 鑑賞
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巻第五 雑歌 885
詞書は前の歌に続き「大伴君熊凝の歌二首 大典麻田陽春の作」
朝露のようにはかない身ではあるが、親に会いたいので他国で死にきれないと詠む一首である。死を目前にしながら、親の顔を見たいという思いがなお命をつなぎとめている切なさを表している。
大伴君熊凝は肥後国益城郡の人で、天平三年六月、十八歳で相撲使の国司の従者として都へ向かう途中、安芸国佐伯郡の高庭の駅家で病に倒れて亡くなった。麻田陽春はその死を悼み、熊凝の立場に立って二首を詠んだ。これに続いて山上憶良も、熊凝の思いを述べる歌六首を和している。
作者の麻田陽春は、百済系の渡来人の子孫で、もとの姓を答本といい、のちに麻田連の姓を賜った。この時は大宰府の大典の任にあり、漢詩集『懐風藻』に詩を残している。
初句「朝露の」は、朝露のように、の意で、はかなく消えやすいものとして次の「消」を導く。
二句「消やすき我が身」は、消えやすいわが命をいい、死の近いことを示す。
三句「他国に」は、故郷ではない他の国に、の意で、旅先の安芸国を指す。
四句「過ぎかてぬかも」の「かてぬ」は…できない意、「かも」は詠嘆で、死にきれないことだと嘆く。ここで句が切れる四句切れである。
結句「親の目を欲り」の「目」は会うことで、親に会いたくて、と倒置によってその理由を示して結ぶ。
ひとくに:他国、よその土地
ほる:欲しがる、望む
- 作者
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麻田陽春
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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国遠き道の長手をおほほしく 今日や過ぎなむ言どひもなく
- 次の歌
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たらちしの母が目見ずておほほしく いづち向きてか我が別るらむ