たらちしの母が目見ずておほほしく
いづち向きてか我が別るらむ
- 歌の意味
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母の顔を見ることもなく、心も晴れぬまま、どちらに向かって私はこの世に別れていくのだろうか。
- 鑑賞
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巻第五 雑歌 887
詞書は前の歌に続き「筑前国守山上憶良、敬みて熊凝の為に其の志を述ぶる歌に和ふる六首 并せて序」
母の顔を見ることもなく、心晴れぬまま、どちらを向いて死出の旅に別れていくのだろうかと嘆く一首である。死にゆく若者が最後まで母を思う心を、行く先の見えない不安とともに表している。
序には、大伴君熊凝が肥後国益城郡の人で、天平三年六月十七日、十八歳で相撲使である某国司の従者として都へ向かう途中、病を得て安芸国佐伯郡の高庭の駅家で亡くなったことが記される。臨終に熊凝は、仮の身は滅びやすく泡のような命はとどめがたいが、庵にいる老いた両親が自分の帰りを待ち、帰らないと知れば目を泣きつぶすほど嘆くだろう、自分の死よりも残される両親の苦しみが悲しいと言い、歌六首を作って死んだとある。憶良は熊凝になりかわって、長歌一首と短歌五首を詠んだ。
作者の山上憶良は、大宝元年に任じられた遣唐使の少録として唐に渡った官人で、帰国後は伯耆守や東宮に仕える役などを経て、神亀年間の末に筑前守として筑紫に赴任した。人生の苦しみや家族への情愛、貧しさなど、暮らしに根ざした主題を、漢籍や仏典の教養を背景に詠んだ歌人として知られる。
初句「たらちしの」は「母」にかかる枕詞である。
二句「母が目見ずて」は、母に会うことなく、の意である。
三句「おほほしく」は、心が晴れず沈んでいるさまで、本巻の第八百八十四首の麻田陽春の歌の三句と同じ語である。
四句「いづち向きてか」の「いづち」はどちらの方向、「か」は疑問の係助詞で、結句の「らむ」で結ぶ。
結句「我が別るらむ」は、私は別れていくのだろうか、の意で、この世との別れを思って結ぶ。
いづち:どちらの方向
わかる:別れる。ここでは死んでこの世と別れる
- 作者
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山上憶良
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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朝露の消やすき我が身他国に 過ぎかてぬかも親の目を欲り
- 次の歌
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常知らぬ道の長手をくれくれと いかにか行かむ糧はなしに