家にありて母がとり見ば慰むる
心はあらまし死なば死ぬとも
- 歌の意味
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家にいて母が看病してくれたなら、慰められる心もあっただろうに。たとえ死ぬなら死ぬとしても。
- 鑑賞
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巻第五 雑歌 889
詞書は前の歌に続き「筑前国守山上憶良、敬みて熊凝の為に其の志を述ぶる歌に和ふる六首 并せて序」
家にいて母に看取られたなら、たとえ死ぬとしても心は慰められただろうにと嘆く一首である。死そのものより、母のそばで死ねないことを悲しむ心を表している。
結句には「一に云ふ」として「後は死ぬとも」とする別の伝えが記される。ここでは本行の形に従う。
序には、大伴君熊凝が肥後国益城郡の人で、天平三年六月十七日、十八歳で相撲使である某国司の従者として都へ向かう途中、病を得て安芸国佐伯郡の高庭の駅家で亡くなったことが記される。臨終に熊凝は、仮の身は滅びやすく泡のような命はとどめがたいが、庵にいる老いた両親が自分の帰りを待ち、帰らないと知れば目を泣きつぶすほど嘆くだろう、自分の死よりも残される両親の苦しみが悲しいと言い、歌六首を作って死んだとある。憶良は熊凝になりかわって、長歌一首と短歌五首を詠んだ。
作者の山上憶良は、大宝元年に任じられた遣唐使の少録として唐に渡った官人で、帰国後は伯耆守や東宮に仕える役などを経て、神亀年間の末に筑前守として筑紫に赴任した。人生の苦しみや家族への情愛、貧しさなど、暮らしに根ざした主題を、漢籍や仏典の教養を背景に詠んだ歌人として知られる。
初句「家にありて」は六音の字余りで、家にいて、の意である。
二句「母がとり見ば」の「とり見る」は世話をする、看病する意で、仮定の形で述べる。
三句「慰むる」は、慰められる、の意で、次の「心」にかかる。
四句「心はあらまし」の「まし」は反実仮想の助動詞で、慰められる心もあっただろうにと述べ、ここで句が切れる四句切れである。
結句「死なば死ぬとも」は、死ぬなら死ぬとしても、と覚悟を示して結ぶ。
とりみる:世話をする、看病する
- 作者
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山上憶良
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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常知らぬ道の長手をくれくれと いかにか行かむ糧はなしに
- 次の歌
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出でて行きし日を数へつつ今日今日と 我を待たすらむ父母らはも