山高み白木綿花におちたぎつ
滝の河内は見れど飽かぬかも
- 歌の意味
-
山が高いので、白い木綿花のように落ちて激しく流れる滝の河内は、いくら見ても見飽きることがない。
- 鑑賞
-
巻第六 雑歌 909
詞書は前の歌に続き「反歌二首」
山が高いので、白い木綿花のように水しぶきを上げて流れ落ちる吉野の激流の河内は、いくら見ても見飽きないと讃える歌である。直前の長歌(第九百七首)に添えられた反歌二首の二首目で、養老七年(723)五月、元正天皇の吉野行幸に従った折の作である。
激流の白いしぶきを神事に用いる木綿花に見立て、神々しさと清らかさを同時に表した点に工夫がある。結句の「見れど飽かぬかも」は、柿本人麻呂の吉野讃歌の反歌である巻第一の第三十七首「見れど飽かぬ吉野の川の常滑の」以来、吉野を讃える歌に受け継がれた言い回しであり、金村もこの型に従って行幸の地を讃えている。
作者の笠金村は奈良時代前期の歌人で、元正天皇から聖武天皇の時代にかけて行幸に従い、多くの讃歌を残した宮廷歌人である。山部赤人と並び、この時期を代表する歌人とされる。
前歌の第九百八首が「清き河内」の白波を詠んだのに対し、本歌は「滝の河内」の激流を詠み、反歌二首で河内を二度讃える形をとる。また結句「見れど飽かぬかも」は、次歌の第九百十首にもそのまま用いられている。
初句「山高み」は、山が高いのでの意である。「〜を…み」の形で原因や理由を表す、いわゆるミ語法で、ここでは「を」が省かれている。
二句「白木綿花に」は、楮の繊維で作った白い木綿を花に見立てたもので、「に」は、のようにの意の比喩を表す。激流のしぶきの白さを、神に捧げる木綿花にたとえている。
三句「おちたぎつ」は、落ちて激しく逆巻いて流れるの意で、次の「滝」を修飾する。前歌の結句「たぎつ白波」と同じ「たぎつ」の語を受けている。
四句「滝の河内は」の「滝」は、万葉集では垂直に落ちる瀑布ではなく、激しく流れる急流を指すことが多い。係助詞「は」でこの河内を主題として取り立てている。
結句「見れど飽かぬかも」は、いくら見ても飽きないことだの意で、「かも」は詠嘆を表す終助詞である。吉野讃歌の定型を用いて、一首を土地讃めとして結んでいる。
ゆふばな:楮の繊維で作った木綿を花に見立てたもの。神事に用いる
たぎつ:水が激しく逆巻いて流れる
たき:激しく流れる急流
かふち:川が曲がって流れ、川に囲まれた土地
- 作者
-
笠金村
- 出典
-
万葉集
- 前の歌
-
年のはにかくも見てしかみ吉野の 清き河内のたぎつ白波
- 次の歌
-
神からか見が欲しからむみ吉野の 滝の河内は見れど飽かぬかも