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神からか見が欲しからむみ吉野の
滝の河内は見れど飽かぬかも

歌の意味
神の性格のためか、見たいと思うのだろう。み吉野の滝の河内は、いくら見ても見飽きることがない。
鑑賞
巻第六 雑歌 910

詞書は前の歌に続き「或本の反歌に曰く」
 み吉野の激流の河内は、そこにいます神の性格のゆえに見たいと思わせるのだろうか、いくら見ても見飽きないと讃える歌である。養老七年(723)五月の元正天皇の吉野行幸の折に笠金村が作った長歌(第九百七首)に、別の本では反歌として添えられていた歌である。
 「或本の反歌」とは、別の本に伝えられた反歌の意で、第九百十首から第九百十二首までの三首がこれにあたる。本文の反歌二首とは別に、同じ長歌に添えられた形で伝わったものを、編者が併せて載せたのである。
 上の句「神からか見が欲しからむ」は長歌の「神からか貴くあるらむ国からか見が欲しからむ」をほぼそのまま用い、下の句は本文の反歌である第九百九首の下の句と同じである。長歌と反歌の句を組み合わせたような形で、土地の神聖さを見飽きぬ美しさの理由として示している。
 作者の笠金村は奈良時代前期の歌人で、元正天皇から聖武天皇の時代にかけて行幸に従い、多くの讃歌を残した宮廷歌人である。山部赤人と並び、この時期を代表する歌人とされる。

 本歌の下の句「滝の河内は見れど飽かぬかも」は前歌の第九百九首と全く同じで、同じ讃辞を本文と或本の双方が伝えている。
 初句「神からか」は、神の性格のためかの意である。「から」は、そのものの本性、性格を表す語で、「か」は疑問の係助詞である。
 二句「見が欲しからむ」は、見たいと思うのだろうの意で、初句の係助詞「か」を受けて推量の助動詞「らむ」の連体形で結ぶ係り結びである。長歌の句をそのまま受け、ここで二句切れとなる。
 三句「み吉野の」の「み」は美称の接頭語で、吉野を尊んで呼ぶ言い方である。
 四句「滝の河内は」は、激流の流れる河内はの意で、係助詞「は」で讃える対象を取り立てている。
 結句「見れど飽かぬかも」は、いくら見ても飽きないことだの意で、吉野讃歌の定型の句によって一首を結んでいる。

から:そのものに備わる本性、性格
たき:激しく流れる急流
かふち:川が曲がって流れ、川に囲まれた土地
作者
笠金村
出典
万葉集
前の歌
山高み白木綿花におちたぎつ 滝の河内は見れど飽かぬかも
次の歌
み吉野の秋津の川の万代に 絶ゆることなくまたかへり見む