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滝の上の三船の山は畏けど
思ひ忘るる時も日もなし

歌の意味
激流のほとりの三船の山は畏れ多いけれど、思いを忘れる時も日もない。
鑑賞
巻第六 雑歌 914

詞書は前の歌に続き「反歌一首」
 吉野の激流のほとりにそびえる三船の山は神々しく畏れ多いが、それでも思いを忘れる時は一時も一日もないと詠む歌である。直前の長歌(第九百十三首)は「車持朝臣千年が作る歌」と題され、吉野の清らかな川原を讃えつつ、「紐解かぬ旅にしあれば我のみして清き川原を見らくし惜しも」と、妻と離れた旅であるため一人でこの景を見るのが惜しいと結んでいる。
 反歌はこの結びを受けており、忘れることのない思いは、家に残してきた妻への思いとみられる。神聖な三船の山を前に心を慎むべきだと知りながら、なお恋しさを抑えられない心情を率直に述べている。
 この一連の左注には「右は年月審らかならず。ただし歌の類を以てこの次に載す。或本に云はく、養老七年五月、芳野の離宮に幸せる時に作る」とある。作歌の年月は不明であるが、同じ吉野の歌であるため笠金村の養老七年(723)の吉野行幸の歌の次に置かれたもので、別の本ではこの行幸の折の作と伝えている。
 作者の車持千年は奈良時代前期の宮廷歌人で、伝は未詳である。笠金村、山部赤人と同じ時期に行幸に従って歌を詠んだ人物である。

 本歌の上の句にある「滝の上の三船の山」は、巻頭の長歌である第九百七首の冒頭「滝の上の三船の山に」と同じ語句であり、同じ吉野の歌として金村の歌群の後に置かれた配列が、この語句の共有からも見てとれる。
 初句「滝の上の」は、激流のほとりのの意である。「滝」は万葉集では急流を指すことが多く、「上」はそのほとり、あたりをいう。
 二句「三船の山は」は、吉野の宮滝の南にそびえる三船山を指す。係助詞「は」で、畏れ多い対象として山を取り立てている。
 三句「畏けど」は、畏れ多いけれどもの意の逆接で、神の宿る山への畏敬を表す。ここから下の句で、それでも抑えられない思いへと転じる。
 四句「思ひ忘るる」は、思いを忘れるの意で、次の「時」を修飾する。何を思うかは明示されず、長歌の結びと合わせて読むことで、家の妻への思いであることが示される。
 結句「時も日もなし」は、ひと時もひと日もないの意で、「時」と「日」を重ねることで、思いが絶え間なく続くことを強調している。

たき:激しく流れる急流
みふねのやま:吉野の宮滝の南にある山
作者
車持千年
出典
万葉集
前の歌
泊瀬女の造る木綿花み吉野の 滝の水沫に咲きにけらずや
次の歌
千鳥泣くみ吉野川の川音の やむ時なしに思ほゆる君